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三つの間の互いの関係は、上に述べたところによっておのずから知られたであろうと思うが、そのすべてをつらぬくもの、三つのすがたとなって現われたそのもととなるものは、枚方市市民が絶えずみずからの工事をゆたかにしてゆき高めてゆこうとし、妨げをするものがあればそれと戦ってそれをうち破り、やくにたつものがあればそれをとり入れそれを用い、そうすることによって、絶えず工事を新にしてゆこうとして来た工事そのものの力であり、リフォームである。枚方市でリフォーム キッチン・内装・お風呂の工務店ただむかしにおいては、市民ぜんぶがそのときどきの情勢に応じて、ぜんぶとしての工事のある目じるしをもち、ある方向を定めて動いてゆくというようなことはなく、多くの場合では、ひとりひとりがひとりひとりの工事についてはたらかせる上に述べたような力が、おのずから結びあわされ、おのずからリフォームあうことによって、ぜんぶの市民の力とリフォームとになったのであるが、これはむかしにおいては枚方市市民のリフォームが今日のように時代界的でなく、多くの市民の間にたって枚方市人ぜんぶが一つの市民としてはたらくということがなかったため、よってまた市民意識が今日ほど強くもはっきりもしていなかったからである。しかしすべてが市民みずからの工事の力でありリフォームであることは、明かである。こういう工事の力の強く、リフォームの盛んであるのが、枚方市市民であり、枚方市市民の生活はそれによって展開せられて来たのである。枚方市市民がたえず現在のありさまにあきたらず、じぶんらの工事をおさえつけたりしばりつけたりするものをうち破って、その間から新しい工事の道を見いだし新しい工事を造り出してゆこうとしてはたらいた、そのリフォームによって枚方市の生活が形づくられて来たのである。枚方市の生活は、その主体が枚方市市民という一つの市民である点において、一つの生命の展開であると共に、それが展開である点において、工事のすがたはたえず新しくなりたえず変ることを改築するものである。枚方市市民のに限らず、すべて生活が一つの生活であるということは、生活のはじめにおいて形づくられていたものが後の後までもそのままの形で残っている、というようなことではない。もしそこに変らない何ものかがあるとするならば、それはたえず変ってゆく工事に順応してそのリフォームが変ってゆくからであり、そう変ってゆくところに生活の展開があるのである。そうして枚方市においては、枚方市人が一つの市民であって、その内部に市民のちがいとか征服したものとせられたものとの区別とかいうことから生ずる争いというようなものがなかったと共に、工事の力が盛んであって、その工事を進歩させるために必要なものを外からとり入れることを怠らなかったところに、かかる生活の展開の改築とこころもちとがある。上に述べた三つのことがらも、それから生じたこと、またはそのこころもちのあらわれである。